PROFILE
BLM PICNIC Okinawa
はじめまして、私の名前は親富祖 愛(オヤフソ アイ)です。沖縄県に産まれました。正確には北谷町の基地の中にあった軍病院で産まれました。ですが、私は基地の外で育ち、うちなんちゅーの母、祖母、祖父、兄達と育ちました。
父はアメリカから軍人として沖縄にやってきました。いわゆるアメリカ人で軍人で'黒人'です。
だんぱちやー(理容室)をしていた母は基地の中にも軍人の髪をカットするため、出張もしていました。
その二人が出会い私が生まれました。
私には父違いの兄が3人います。
シングルマザーで3人も子供を抱えて、自営業を営む母はとても、ちゅーばー(強い人)です。
経済的に大変な時に、父は我が家にとって、どんな偉人よりも光をもたらした存在です。
兄達は今でも父を慕い、私が小学5年生の時に離婚しますが、今でも我が家にとっては愛すべき存在です。
わたしが4才の頃に父は軍人を辞め、アメリカに帰還しました。
私には父と暮らした記憶がほとんどありません。
クリスマス、誕生日、新年には家族へ沢山の贈り物がアメリカから届きました。
英語のわからない私には父のメッセージカードをデザインを見て楽しんだり、何て書いてあるのか?と思いながら、大事にしていました。ただ一つそこにはいつも「Love」と書かれていました。
私はうちなんちゅ(沖縄の人)と思っています。
ですが、沖縄という場所で私は父の遺伝子を引き継いだ見た目で判断されます。
いつも、挨拶より先に「えいご、しゃべって」「お父さんは、なにじん?」
個人的な質問大会が始まります。
大人になった今でも、それが日常です。
トイレを'日本語'で尋ねられ、教えてあげても、返ってくる言葉はお礼じゃありません。
「ところで、日本人なの?」
その男性は3才くらいの子供の手をひく保護者でした。
"差別はどこからくるの?"
皆さんはそんな事をトイレに入る時、コンビニにいる時、教室に座る時、校庭を歩く時、シャワーを浴びる時、寝る前、そんな疑問を考えていますか?
私は"YES"です。
私は沖縄という場所に生まれ、ずっとこの疑問がくっついてきました。